読上
SSS.実はアマアマなのは。
付き合ってない真島さん大好き夢ちゃんとそれに絆されている真島さんのお話
「こんばんは!真島さん、相変わらずカッコいいですね!」
「ジブン今日も元気やなぁ」
呆れたように首を抑えながら軽く回しているその姿さえもかっこいい。なぜこの人はこんなにかっこいいのだろうか。
「ほんで?」
「ん?」
疑問符でこちらに答えを委ねるように目線を向けられるが、身に覚えがない。何か約束でもしていただろうか。
「どうせ飯まだやろ?希望あんなら聞いてやらんこともないで」
「え!?何でですか!?」
いきなりのご飯希望。いつもは真島さんのバッティングや喧嘩を一方的に見てはしゃいでいるのがデフォルトで、こうやってご飯希望の提案をされることはおろか、ご飯に連れて行ってもらったことない。それがなぜか出血特別大サービスとでも言うように真島さんとご飯に行ける。そして何故だか私の好きなものを聞いてもらえるらしい。
「いいからはよ言わんかい!せやないと決定権無くなるで〜?」
「え、嘘!やだやだ!うーんと、そうですね…やっぱり、韓来?」
「欲のない奴やのう」
そう言いながら足は韓来の方向に向かってくれている。
何だかよく分からないけど真島さんとご飯を一緒に食べることができるのは嬉しいな〜と機嫌良く鼻歌を歌っていると横を歩いていた真島さんから視線を感じた。
「なんですか?」
「今日誕生日なんやろ?」
「え、なんで知ってるの」
「なんでやろなぁ」
思わず足を止め本気で驚きながら真島さんをじっと見つめるけれども、彼はどこ吹く風でスタスタと歩き続けるので慌ててついて行く。
「お前何で言わんのや」
普段狂気的にテンションを高くして喧嘩などをしている人のはずなのに、拗ねたように言う姿は珍しく感情を見せていて。
「いや、恥ずかしいのもあるし。素直に『祝って〜』って言うのも、ね」
「普段俺にあんだけ『かっこいいー!』だの『好き!』だの言うてるやつが何言うとんねん」
「はは、確かにそうかも」
「言うてくれるの待ってたんやで?」
「へ」
私は真島さんへの好意を包み隠すことなく余すことなく伝えてきてはいたけれど、真島さんはそれをのらりくりと躱していたのに、突然のこの甘さ。誕生日ボーナスか。
「それって祝ってくれるつもりだったってことですか!」
「あー、うっさいうっさい」
「それって真島さん私のこと好」
「ホンマに風情無い女やのぅ」
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一方通行だった想いの行方
恋愛なんて両方が同じだけの気持ちなんてことはなくて、大抵はどっちかからの好きで始まってそれに応じるか応じないかの話。
そういう話で言うと、私は真島さんが好きで彼はそうじゃない、そして真島さんにはそれに応じる気がないというだけなのだ。ほんとうに。ただそれだけ。
人って我儘だと思う。他から向けられる好意があっても欲しいのは自分の意中の相手からの気持ちだけで、それを得られないことに苦しいと思っている。身勝手。自分勝手。
上手くいかないことなんて当たり前で。両想いなんて奇跡でしかなくて。
それでも振り向いて見せるって殊勝に振舞っていたけど、もう限界だった。
特に何かあったわけじゃなかった。例えるならコップいっぱいに入っていた”何か”が少しずつ、いや、もしかしたら少しじゃなくってその都度結構な量を減らしていっていたのかもしれない。鈍感なフリ、気づかないフリを続けていたらある日それが底を尽きた。からっからに。
あーあ、もうやんなっちゃった、ってなってしまっただけ。
そうなると積み上げていったものたちなんてどうでも良くなって、何もかも投げ出したくなった。
真島さんはいつでも真摯だった。変に期待させることはしなかったし、いつでもきっぱりと「遊びやったら幾らでも付き合うたるけど、本気なら相手できん」って私の気持ちを見抜いたうえで遊んでもくれなった。遊んでる女はたくさんいるくせに。決してその一人にはしてくれなかった。
適当に見えて全てを見透かして、躱す。それがいいことなのか、分からないけれど。悪い男ではないことは確かで、それがまた更に好きにさせた。
そうやって想いはどんどん膨らんでいくのに、関係はいつまでも変わらないままで。
真島さんが私に興味ないのは当たり前。だって好きなのは私だけだから。でもいいのと、それでもずっと思い続けてそれを伝えていればいつか、もしかしたら。きっと。
自分を騙し続けて、もう限界だった。
***
神室町に顔を出さなくなってもうひと月が経とうとしていた。未だに彼のことは忘れられないし、胸も未だ痛むけど、それでも日常は廻っていく。恋愛なんてはしかみたいなものらしいので、会わなければ、考えなければきっといつかは忘れて過ごすことができると信じて、今は静かにじっと我慢して耐え忍ぶ時だと言い聞かせ過ごしている。
普通に生活をしていればかかわることがなかった人、街だったことを思い知らされる。
楽しかった時期もあったけど、やっぱり顛末が報われないと分かっていることを自覚したときの喪失感や虚無感は無視できなかった。
自宅の最寄り駅に着き、岐路につきながら今日の夕飯について考える。明日は休みだし近くにできて気になっていた地中海料理のお店に行くのも良いかもしれない。
「なぁ」
現実的な思考回路から一気に飛ばされるように、沸騰した気持ちになる。
たぶん今後一生、会うことがないとしても忘れることのない大好きな声。
「急に姿見せんくなったと思ったらトンズラかいな」
責めるような言葉に呆れを乗せた声色。いつもの派手なジャケットじゃない、同じ蛇皮だけど色味は暗めで落ち着いていて、いつもは半裸なのにインナーも着ている。初めて見る姿だ。
「何の用ですか」
「随分ちゃうんか?ヤクザにあんだけ構っといていきなりなしのつぶてやもんなぁ。ひどいもんやで、なぁ?」
理不尽極まりないと思う。真島さんは私の気持ちを知っていて応えなかった。私がその状態に音を上げてしまった、ただそれだけ。
「迎えに来た。行くか、行かへんのかどっちや」
「……もっと、他にないの」
”好きだ”とか、”愛してる”とか。そういう甘い言葉は。
「ここに来ただけで十分、やろ?」
そう。だって彼は一切私の気持ちを受け取ることは無かった。その意味が分からないほど馬鹿じゃなかった。
「なんでそんな自信満々なの、むかつく」
「そりゃな、お前俺にベタ惚れやないか」
悔しいけど、その通りだ。
やっぱりどれだけ強がりを言っても、欲しかった。彼からの愛が。
本当に報われなくても良いって思っているのなら、伝えていないし行動なんてしてない。
拾い上げてくれた、掬い上げてくれた。何よりも大好きな、真島さんが。
それだけで充分だった。
言い訳。
真島さんはゆめちゃんが好き好き言い寄ってきてた時からどうしようかと考えていたと思います。中々腹が決まらなかった中でゆめちゃんが居なくなったことがきっかけで腹を決めたということにしておきましょう。
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SSS.憂鬱な日はあなたがいれば吹き飛ぶ
今日は散々な日だった。あまり深く思い出したく無いので端的に言うと『女だから』という男尊女卑的な考えで振り回された。
疲弊もするし、言葉を選ばずに言うのであればめちゃくちゃ腹が立った。
この憤りをどうしたらいいかが分からないまま時間が過ぎていって、いつもより仕事に集中出来ていないまま就業時間を終えた自分にも少し自己嫌悪しながら自宅マンションに着くと部屋の灯りが灯っているのに気付き、気持ちが高揚した。
部屋の鍵を持っているのは私の他に、ただ一人。彼がいると思ったらはやる気持ちを抑えられず、足早に部屋に向かった。
「おう、おかえり」
玄関のドアを開けると冷蔵庫から麦茶を取り出している真島さんの顔を見て落ち込んでいた気分がどこかへ吹っ飛んでいった。会えたことも嬉しいし、私が沸かしていたそれをコップに注ぎながら「飲むか?」と聞いてくるのにも私の生活が真島さんと繋がったてそこに遠慮がないこともそれを増幅させていく。首を縦に振るともう一つおなじコップを取り出し器用に片手で透明を茶色に染めていく。
2人並んでソファに腰掛けると、よく冷えた麦茶を口にした真島さんが思い出したように口を開く。
「ほんで食いたいもんあるか?」
「え?せっかく来てくれてるし、なにか作ろうかなぁと思ってたんですけど」
「それも嬉しいけどなぁ」
唐突でそこで言葉を切って私をじっと見つめて笑い、頭をぽんぽんと撫でる。
それだけで励ましてくれていると伝わって好きが積もっていく。
「ねぇ、吾朗さん」
「だいすきです!」
「えっ、吾朗さんが作ってくれるんですか?食べに行くんじゃ無くて?」
「その方がええならそんでもええけど、今から行くのもかったるいやろ。座って待っとき」
「…〜っ! すき」
「分かったから風呂入ってあったまって来いや」
言い訳。
書けたかどうかイマイチなので言い訳的に書いておくと
合鍵を持っていて且つ連絡無しでも互いの家を行き来している関係値
顔を見ていつもと違うということが分かっちゃう真島さん大好きという話でした。
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ドライカレーと牛すね肉のシチュー
真島さんとそれらしい関係になって一年になる。意外と(なんて言ってしまうと多大に失礼ではあるのだけれども)色々と考える質(タチ)であった彼と紆余曲折を経てやっとお付き合いという形をとることになり、ここまでを迎えている。
とは言ってもお互いにそこそこ人生経験も恋愛の酸いも甘いも経験してきているので、今更異性に幻想を抱くことも無かった。
具体的に言うのであれば、真島さんはキャバクラの女の子と会ったり店に行くことは仕事の延長。付き合いというものがあるし、私も恋に恋するような恋愛したての若い女でも無い。キャピキャピキャッキャする年頃でもないし、男の趣味に合わせて服装やメイクを変えたり合わせたりするなんてことは今更しない。
元の性格がドライなこともあるけれど、真島さんのそういうことに特に嫉妬するとかモヤモヤするということも無く。
私は今の距離感をすごく心地いいと思っている。前になんとなくそういう話になった時に真島さんもそうだと言っていた。
かと言って冷え切った関係ということでもないので、互いの部屋を行き来しているし、今日は真島さんの部屋のベッドで共に朝を迎え、寝起きが悪い彼を割と強めに叩き起こした。低血圧であるが為に酷く眉間に皺を寄せながら嫌々という感じで起床した彼は早々にベッドサイドにある煙草を手に取って火を灯す。
半裸姿は彼の通常運転だ。一度見せびらかす為に脱いでるの?と聞いたらどつかれた。鍛えているし、あながち間違いじゃない気がするんだけど。
そこそこ伸びてきた髪を両手を使ってまとめる。邪魔になってきたしそろそろ切りたいなぁと考えながらベッドから出た。
「今日はどんな予定で?」
「予定聞いてくるなんて珍しいやん」
「時間が合えば夕食一緒にどうかなーって」
昨日なんの気なしに見ていたテレビでキーマカレーの作り方を放送していた。夏バテ気味であまり食欲がなくなっていた中でそそられて作ってみようと思ったけれど、せっかく作るのに一人で食べるのも味気ないので真島さんを誘った、というワケである。
「あー、今日は先約があんねん」
「そうですか、残念です」
クローゼットに仕舞われた下着を取り出して抱え、空いたもう片方の手で双方が脱ぎ散らかした昨日の残骸たちを拾い、浴室へ向かった。
*
特に何事も無く定時を迎え、最寄りスーパーに指定のスパイスが売っていなかったので輸入品店へ寄り全ての買い物を終え、数日振りに自宅へ帰宅した。
さて、ひとまず具材を切るかと思ったところで着信音が部屋に響く。ディスプレイを確認して珍しいなと思いながら通話ボタンを押した。
「はい」
『もしもし〜?今さ、友達と飲みにきてたんだけどさ店がどこも空いてなくてさ。丁度姉ちゃん家近かったなと思って。今家?」
そう言われて今日の日付を思い出してみたら、最寄り駅とまでは行かないがその近隣で花火大会があることを思い出した。某川で行われるものと比べたら規模は小さいが毎年、この時期は観光客や地元民でそこそこ賑わい、飲食店は混んでいるし、他に出ようにも電車も激混み。そのことを話すとやはり知らなかった様子だった。
「今からご飯作ろうと思ってたところだけど、食べに来る?」
「マジ?助かるわぁ。酒とつまみは適当に買ってくからさ」
「あんまり大人数だと困るけど」
「あ、それは大丈夫。俺の他に一人だから」
「そう。なら良かった」
二度目のお礼と感謝の言葉を聞いて通話を終了した。近くにいるならそこそこ早くやってくるだろうと早々に準備に取り掛かった。
*
予想通り1時間もしないうちにやってきた弟とその友達との挨拶をそこそこに室内へ招き、後少しで出来るからと遠慮なく適当に始めていいと声を掛け、キッチンに戻る。
黙々と残りの工程をこなし後は煮込むだけの状態。冷蔵庫から缶ビールを取り出して二人の会話に入り、弟の近況や私の職種と近かった友人の話を興味深く聞きつつキッチンを行ったり来たりして煮込み具合を見る。
完成したキーマカレーは大好評に終わり大袈裟なほどに褒められ、持ち帰りを希望されたので残りを取り分けてそれぞれに渡し、律儀にお礼を伝えてくる二人を玄関口で見送った。
「あ」
図ったように弟たちと入れ替わりにやってきたのは、あまりにも差がひどくある男。至って普通な二人を見た後だととても非日常を感じる相変わらずの出立である真島さんがそこにはいた。
「自分の男の連絡無視して他の男連れ込んどるなんてええ度胸やないか」
玄関口でヤクザに因縁をつけられるのはなんだかドラマの中で取り立てされることを彷彿とさせるなぁと思いつつ、そう言えば弟と通話した後に充電するのをすっかり忘れていた。着信音が鳴っていないということはちょうど電源が切れてしまっていたのだろう。手早くキーマカレー作りに取り掛かろうと思い、すっかり忘れていた。
「あー、電話してくれてたんですね。すみませんすっかり充電忘れてて」
「男のことは無視かいな」
「結構似てるって言われるんですけど、どうですか?」
「そやな。賢そうなとこ、そっくりや」
「え、嬉しい」
トーンから全てを理解した上での言葉だと思っていたがやはりそうだったようで。すれ違ったのは一瞬だっただろうに、流石の真島さんの観察眼に驚くのと分かりやすく誉めることをしない彼からの言葉が意外だったのと嬉しかった。
ちょっとした茶番の会話を終えて、部屋の中に招くと、真島さんが驚いたようにしているのでどうしたんですかと、問いかけた。
「飯作るんなら言っとけや」
「あれ、言ってなかったですか?」
「聞いてないな」
彼は先ほどの軽いものとは違って少し声のトーンを落としている。
「いやぁ。言ったとしても先約を優先すべきですし、そこで私が優先されるのも違うじゃないですか」
珍しい。彼もこの辺りドライというか同じ温度感だったのに、今日はやけに突っかかってくるというか。
不服そうな私の様子に呆れたように深くため息をついて私を見やる。
なんだなんだ。なんなんだ。
「お前が作り慣れてへん妙に凝った料理作るっちゅー時は大抵体調悪い時なん、自覚しとるか?」
そう言われて時が止まる。寝耳に水というか、今まで全く考えたことが無く思ったこともないことであまりにも驚いた。
そう言われ今回も夏バテ気味だったし、思い返せば確かに同じようなことが冬頃にもあった。あれは確か牛すね肉のビーフシチューだったか。
「いや、全然気付いてなかった。真島さんすごいですね……」
「当たり前や。俺を誰だと思ってんねん」
……というか、私自身気付かないことを気付くって勿論真島さんの観察眼の凄さもあるけど。
————あれ、真島さんって私が思ってるよりも私のこと好きなのでは?————
そのことに気付いた瞬間、顔が熱くなってきた。
「兄ちゃんなぁ、お前のこと気に入っとった様子やったで」
「まぁ、職種が近かったので意気投合というか、親近感が湧いたんでしょうね。あとは年上がよく見える年頃というか、そんな感じでしょ」
「そら今更年端も行かんガキにお前を取られるなんて事は思わへんけどな」
気にしてへん、ちゅー訳やないからな?
真島さんはさらに私の身体の熱を上げさせた。
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お前の希望、叶ったで
「お兄さんかっこいいですね!連絡先教えてくださいよ!」
「あ?俺に言うとんのか?」
真島さんとの出会いは東京は神室町。東京で一番治安が悪い街とされる場所。
例に漏れず、今日もこの街ではあちこちで泥酔したホス狂いやカツアゲひったくりに質の悪いナンパetcetc……
そんな街の中で私が何をしているかというと、マーケティング調査だ。私が勤めている会社で扱う新商品のターゲット層が夜の街で働く人たちなので、街の中で人々を観察しながら具体的な数値には表れない些細な情報であったりを収集することが主な目的である。
さて、次に仕事の一環として来たのに何故冒頭のようなやり取りになったのかということだけれども、これは真島さんが悪いと思う。
天下一通りで「お前ら邪魔やねん!」と叫びながらドミノ倒しよろしくチンピラたちを短刀でなぎ倒していった。それはもうものの見事に。
普通だったらその人間離れした所業に恐れおののいたりするのだろうけれど、私はその華麗な動きに魅入っていた。
しかもそれだけではない。そこで私の口から漏れたのは。
「かっこいい……」
「あぁ?」
そして冒頭のやり取りに繋がる。
「お兄さんかっこいいですね!連絡先教えてくださいよ!」
「あ?俺に言うとんのか?」
「そうですよ!」
「お兄さんってなぁ……ネェちゃんいくつやねん」
レディに年齢を聞くだなんて、と茶化しながら答えると俺と二回り近く違うやんけ!とかなり驚かれた。こっちもびっくりだ。
「え、めっちゃ若っ…!ますます興味出ちゃいました」
「こっちは興味ないわ。女が一人でふらつく街やないんやからはよ帰り」
「あまりにも私の好みのど真ん中ドストライクだったもので……帰れません!」
「んなモン知るかいな。ワシのせいにすな」
「あ、そもそも私仕事しに来てたんでした。どちらにせよまだ帰れません」
「仕事そっちのけやないかい」
「へへ、お兄さんが魅力的だったので」
「それむず痒くてしゃあないからやめ」
「え、じゃあどのようにお呼びしたら」
ひとつ大きなため息を吐きこちらを見た彼の瞳は射抜かれそうなほど鋭く、今までの雰囲気と一気に変えて冷たいものになっていた。
「……なぁネエちゃん、俺ぁこう見えて今ドチャクソにキレとんねん。
ええ加減にせんと、遊びじゃ済まへんで?」
冷えた声色が響いた瞬間、私は動くことが出来なかった。
「親父、ここでしたか! 車回してきました」
「ほな行くで」
彼が早々に去っていたそこで私は立ち尽くしたままだった。
***
「こんばんは!」
またある日の神室町、天下一通り。元気ににこやかに挨拶する私の目の前にはこの間の彼のげんなりした顔。
「何でまたおんねん」
「そりゃあ、また真島さんに会いに?」
「……調べたんか」
街中で情報ツウなママがいるということを耳に挟み、チャンピオン街の亜天使というスナックを訪れ尋ねた。眼帯で~と話した時点で『真島サンね』と教えてくれた。東城会というヤクザの幹部で、ケンカがめちゃくちゃ強い人らしい。
「ええ、ばっちり!ちょっと調べただけで分かりました。有名人なんですねぇ」
大きなため息を吐かれる。なんだ、失礼な。
「自分ついこないだ怖くて動かれへんようになっとったくせによう言うわ。ホンマは怖いくせに強がりおって」
「違います。私に引かせるために態と怖いところ見せたんじゃないですか? そういうところホントは優しいんだなーって思っちゃって余計に惹かれちゃいました!」
「そんなん勝手にお前が思ってるだけやし、そもそもまだ会うたの2回やろ」
「ふふ、思うだけなら勝手ですよね〜」
「はぁー……。脳内お花畑な能天気なやっちゃ」
***
そんなこんなで私は神室町に真島さん探索のために入り浸るようになり、彼も彼でそれなりに絆されていってくれたと思う。こうしてバーで会っても(会うというより強制エンカウント待ちとも言える)一緒にお話ししてくれる程度には。
「そもそもガキすぎるやろ」
「ガキって……世間的には結構良い年ですよ?」
「オトナのオンナには程遠いのぉ。色気身につけて来んかい色気を」
「私だって色気くらい————」
視線を向けると肩肘をテーブルについて掌に顔を乗せ、じっ、と流し目でこちらを真っ直ぐ見つめる真島さん。
「ずるいですよぉ〜目力ありすぎですもん」
耐えられなくなって先に目を逸らして降参とばかりにテーブルに突っ伏した。
「私に色気が身に付いたら観念して真島さんの女にしてください……」
うつ伏せのままくぐもった声で力なく言うと真島さんはヒヒ、と愉快そうに笑って去っていった。
***
「あ、見つかっちゃいましたか」
ミレニアムタワーの屋上で鉢合わせた彼女は悪戯が見つかった子供よろしく苦笑いを浮かべていたそれに、真島は平時と異なる感触を抱いた。
いつもなら煩わしいと感じるのに、纏う雰囲気は今日は違って見えた。
動揺したことを悟られないようにするのは極道の十八番かもしれない。彼女はそのことに気付く素振りもなく真島に声をかけた。
「なぜここに」
「事務所ここに入っとるんや。そっちは?」
「同じようなもんですね。支店がここに入ってて、所属してる訳じゃないですけど、一応自由に使っていいらしいので」
「ほおん」
まだ長く残っているシガレットの火を携帯灰皿を取り出して消そうとするところを真島の黒い手袋が制した。
「付き合えや」
彼女は少しバツの悪さのようなものを感じながら再度フィルターを口にし、吸い込んだ。
真島も同じように煙を吐き出しながら神室町のネオンの光を見つめていた。
「……女が煙草吸ってるのってイメージ悪いじゃ無いですか」
「そうかぁ?」
「ふ、……そういうところがいいんだよなぁ真島さんは」
「周りは大抵吸ってるからのぉ」
一般的な社会では男尊女卑とまでは行かなくとも、女なのに、女の癖にという変なカテゴライズのようなものがあるのかもしれない。現に真島の知る夜の世界の女も接客中に堂々と吸う女は少ない。しかしそういう世界の裏側を多く知っている彼は愛煙家が圧倒的に多いことも知っているし、真島自身大して拘りは特に無かった。
「なぁ」
「はい?」
「お前の希望、叶ったで」
「え、…………、それって……つまり私に色気感じてくれたってことですよね!? どこ!? どこ!? 教えてくださいよー!」
「やっぱ撤回や」
「そんな殺生なぁ〜」
分かった分かったと投げやりに言ってやるとやった〜やった〜と両手をあげて喜ぶ女を可愛いらしいと思うくらいになっていた自分に気付いた真島は、悪くないと笑った。
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そのつもりで選べや【3】
5.その時は突然に
「さあて、いっちょやるかのぅ」
安全は確認できたし暴れたるか!と私を見やり、いつもの派手なジャケットを脱ぎこちらへ放り投げてきたので困惑しながらキャッチしたその時には、短刀を器用に幾度となく持ち替えながら角度も様々に巧みに操って何人もの敵を斬りつけていっていた。勿論真島社長に向かっていく敵も複数いるけれど、彼のスピードは段違いで難なく横に避けている。器用な動きに圧倒されていたのに、さらに今度は背を向けたそこに現れた、額彫りに大きな般若と散らされた椿は物凄い威圧感。圧倒されつつも————綺麗だと思ってしまった。
「なんちゅう顔してんのや」
「え……?」
いつの間にか彼のひと暴れのターンは終了していたようで、呆けていた私の目の前の真島社長は傷ひとつ無くそこに居てしゃがんでこちらを覗き込んでいた。胸にも入っていることは見えてはいたけど、こちらは蛇。異質なものであることは間違い無いのに嫌な感じがしない。寧ろ魅力的に感じてしまっている。
「いつもの鉄仮面忘れとるで。そない食べられてもいいっちゅー顔してたら悪い男に全部いかれてまうでぇ?」
冗談混じりの口調で言ったつもりであろう筈の言葉にそうなってしまっても良いと思ってしまったのだから手に負えない。
目を逸らさずじっと彼を見つめたままの私を見て、少しだけ彼の表情が変わった。
「アホな女や」
* * * * * *
「あー、なんや、惚れてしもうたか」
「そうかもしれません。困ったことに」
ラブホテルの一室、ベッドの上でうつ伏せのままの私は上体を起こしている男は紫煙を燻らせている様をぼうっと見ていた。
極道の男だから好き勝手に抱かれると思っていたけれど、予想に激しく反して酷く優しく丁寧だったことを思い返せば、目の前のこの男も満更では無くてお互い様ではないかと感じたのでそれを露骨に顔に出してやると、素知らぬ顔をされた。憎たらしい。
「俺、カッコええもんなぁ」
「ですね」
じゃあこちらは徹底的に素直にいってやるという姿勢で間髪入れずに肯定を返せば、否定せえやと笑い煙草を咥えたまま視線をこちらに向けた。
「せやけどな、下手なこたぁ言わん。やめときや」
「真島さんって自分勝手ですよね」
あんなに蕩かせるように抱いておいてその後でそれだなんてつれないどころの話ではない。
「ヤクザの、それも組長なんてそんなもんや。ええか。極道モンっちゅうんは、思てるよりもなーん十倍も何百倍も惨い世界やし世間様に顔向けできるようなモンでもない」
頭のええお前なら分かるやろ。
そう付け加えられた言葉を聞きながらそれはそうだろうと思う。ひとまず両親には勘当され兄弟親戚もろとも全ての縁は切れるだろうし、先のことを考えれば今の会社にだっていられなくなるし、気心の知れた友人にも軽蔑され会うこともできなくなるかもしれない。
冷静に将来を考えれば明るくない未来が待っていることは想像に容易い。
でも。それでも。
「真島さんが私の目の前から消えるということが私の幸せだっていうなら、間違ってる」
小さなことを挙げれば狂ったように振る舞いに反して頭の良いところだったり、それを見せたがらないところだったり意外と可愛らしいとこだったりするけれど、それ以上に本能で彼を求めてしまっていて、だからこそ身体を繋げたのだと思う。理屈じゃ無いのだ。
誰に後ろ指を刺されても周りに反対されても、それでも真島さんと一緒にいたい。そう思ってしまった。
「んで、どうなんや。はっきり、選べや」
「…………攫ってはくれないの」
私が選ばないとして、それでいいの?手放せるの?
私はもう真島さんが嫌だって言っても真島さん無しじゃいられないって思ってるのに。
そんな思いがこもって責めるような言い方になった私に真島さんはいつになく真剣な眼差しを向けたままだ。
「勘違いすなや。これがお前に選ばせる最後や
…………安心せぇ。一度こっちを選んだら二度と離さん」
せやから手前のケジメは手前でつけぇ。
そのつもりで選べや。
極道だっていうことは一つの要素でしかなくて、世の中にはホスト・詐欺師・DV野郎、それはもちろん聖人君主みたいな人に出会えれば世間的にはいいのかもしれない。でも私はそんなものより自分が愛した人と一緒に居たい。それが世間知らずとか不幸せとか茨の道とか誰に何を言われようとも、私は自分で選んだ人と、真島吾朗と、一緒にいたい。
そう答えたら。
「ええ覚悟や」
そう不敵に笑って強く抱き締められた。
痛いくらいのそれが嬉しくて、幸せで。涙が出た。
「流石に目の届く範囲に居てもらわな、いざっちゅー時に守れん可能性のが高ぅなるからミレニアムタワー内か真島建設に居て欲しいねん」
「ミレニアムタワーに入ってる会社も良いですけど、もう真島建設の雑務兼経理とかでいいですかね」
真島さんは譲歩してミレニアムタワーにある会社の選択肢を出してくれただろうけれど、多分その方が色々と都合が良いだろう。
「なんやお前、経理も行けんのか」
「まぁ、資格は一通り」
「……ほんま、アホな選択しおって」
「はーい、おセンチ禁止ですよー」
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そのつもりで選べや【2】
3.ヤクザとランチ
「タクシー乗るか?」
「徒歩でも行ける距離なら少し歩きたいです」
答えてから一緒にいる時間が長くなることに気付いたのは、街中で畏怖の視線を向けられ避けるように道を開けられた時である。神室町に立ち寄ることはあまり無いので街並みを見ながらと思ったけれど、大失敗だった。
不覚。私を狂わせたのはミレニアムタワーの限定ランチだ。
軽率に返答をしてしまったことを悔いていると、裏通りで男性がチンピラにカツアゲをされている様子だった。流石か神室町、治安が悪い。
警察を呼んだ方が良いかと思い携帯電話を手に取ろうとした。
「俺ェん前でけったくそ悪いモン見せんなや」
「あぁ?」
こちらを振り返ったチンピラは真島社長の姿を確認し、表情が一変した。
「チンケなことやっとらんでもっとタメんなることしたらどうや?せや、俺と喧嘩でもするか?」
チンピラの肩に腕を組んで顔を近づける。冗談口調ではあるがヤクザ、それも東城会の大物にされている圧は計り知れないものがあるだろう。
「え、えんりょします……!」
「ほうか、残念やのう」
彼が組んでいた腕を外すとチンピラは一目散に去っていったのにも目もくれず、彼は何もないであろう手のひら同士をぱんぱんを掃っていた。
「意外とお人よしなんですね」
「あぁん?ネェちゃん誰に言うとるか分かっとるんか?」
「でもほら、コワモテの組のおエラいさんが孫とか猫とか溺愛してたりする、ああいうの」
「アホか、そないなもんと一緒にすなや。それにそんなキレイなモンちゃうで。俺が気に入らへんのや」
「そうですか」
「ネェちゃんの前でカッコつけたいだけかもしれんで」
「ふふ」
「何わろてんねん」
「いえ、なんでも。予約の時間もあるでしょうし、行きましょうか」
取り出した携帯電話をしまい込みながら再び歩き始めた。
「それにしても意外やのう。ウマいモン好きなんやなぁ」
「…………」
「こーんな顔してたのに、飯食った瞬間これやもんなぁ」
私はヤクザと街中を歩くという狂気ミッションをした甲斐はあったと言えるほどのランチを堪能していた。
真島さんは両目尻に人差し指を当てて目を釣り上げ細め覗き込むようにこちらを見てにんまり笑っていた。
「ずーっとその顔してた方がウケええんちゃうか?」
口に入れた海老を咀嚼して嚥下してから真島社長に返答した。
「女性だということで軽視されることもあるのでウケは無い方が」
「ほおん、なるほどなぁ。あんたも色々大変やのう」
「そうですね。特に事前の相談なく自分を使われる話を通されていたり、その上前例のない視察指導だったりとか」
「ヒヒッ。かなり根に持ってるんやな」
「いえ、お気になさらず。みっちり訪問顧問料は別途いただきますので」
「姉ちゃんヤクザモンに吹っ掛けるとは肝が据わっとるのぉ」
「吹っ掛けるだなんてとんでもないです。正当な見返りを求めているだけで」
しかしこの件に関しては確かに真島建設のようにノウハウが無くてワンマンに近い企業であれば一番効率的で有用な方法だったと思う。
もしかしたら真島社長はこれを狙っていたのかもしれない。だとしたら素直にそう言ってくれたらいいのにという思いを込めての嫌味だ。それに調整や指導は実際にかなり大変だったのでその辺りは上積みさせて頂く。
既に会計済みだというので店から出たところで支払いをしようとすると彼はいらん、と一言だけ言った。
「そないこわーい顔しとったらせっかくのべっぴんさんが台無しやで」
「いえ、でも」
「勘違いすなや、俺はアンタの仕事が気に入った。せやから誘ったんや。誘ったんモンが払うのは当たり前や」
「……そうですか、ではお言葉に甘えます。ごちそうさまでした」
「おう」
そう満足そうににんまりと笑う真島社長をじっと見ているとなんや?と不思議そうに尋ねられた。
「真島社長って意外と」
「なんや」
「感覚派のような言動してますけど、頭脳派ですよね」
「あぁ?」
「私を現場に来させたのも、一番効率よく上手く行く方法を考えたからで、こうしてお昼を誘ったのも私という人間を知って円滑に進めようとしてでしょうし……」
「……なんや、調子狂うわ」
「そうやってわざわざ言わないのも含めてなんていうか……かっこつけ?」
「何やお前、人ンこと馬鹿にしとンのか?あぁン?」
「いえ、褒めてます。頭脳派だって言ってるじゃないですか」
作業中も意外と組員一人一人を見ていて、無理をしている様子の人は休ませたり(ちょっと手荒い方法だけど)していたし、さっきのカツアゲも彼なりの道理に反して気に入らないということだったんだろうと思った。
バツが悪そうにテクノカットの頭を掻く真島さんはヤクザなのにやっぱり可愛く見えてしまった。
4.思っていたよりも深いところまで
それからの真島建設は初回と同じように数度訪問視察をして、そのたびにみるみる作業効率伸ばしてノウハウを身に着けていき、ヒルズの施工を進めていった。特にサポートの必要は無さそうなので、今後関わることはないだろう。
そのことをほんのちょっと残念に思うくらい真島社長は魅力的な人だったなと思い返す。いや、冷静に考えればヤクザとなんて関わりが無い方が良いのだけど。
なんて考えていた矢先。
訪問先から帰社したところ、玄関前に治安の悪そうな男が二人いた。
誰のお客様だろうかと疑問に思いながら通り過ぎようとしたが、そうはいかなかった。
腕を、掴まれた。力加減というものを知らないのか強くそうされていて、なにやら睨まれているし、もう片方の男も退路を塞ぐように私の後ろに立っていて物凄い威圧感だ。
「アンタが真島の女か」
「…………はい?」
全く身に覚えのない声掛けをされ、思わず素っ頓狂な声が出たたけど、それでもそんなに睨まなくったっていいだろうと思う。
「シラ切っても無駄だ。ネタは上がってる」
「いえ、あの本当に意味が分からな――――」
そこで私の記憶は途絶えた。
次に意識を取り戻した時、暗闇の中だった。テンプレ通り手足と口、視界の自由を奪われて。
真島の女とか言っていたし、明らかにヤクザ絡みの何かに巻き込まれたのだろう。
視界も塞がれていることもあって何もできやしないことにため息をつきながらせめてもと思案することにした。
まぁ帰社予定時間を確実に過ぎているし、私の行方が分からなくなっていることは会社には知れているだろう。幸いにも今日の訪問先は真島建設だった。確認の連絡が真島社長に伝われば。頭のいいあの人のことだから繋がってくれる……筈だ。おそらく。
仕事でしか接したことのない人の思考と行動を予測し、期待している自分がいる。
自分が思っていたよりも深いところまで来ていたのかもしれない。
「……っ!」
入口が派手に開く、……いや、破られたような音が響いた。続いて革靴が歩く音と見知った声。
「あー、ここか? 居たら返事しろや!」
無茶を言わないで欲しいと思いながら、なんとか縛られている足を地面に叩きつけることで主張に成功し、「ここや、探せ!」と真島社長の激昂が飛ぶ。
そう間を空くことなく、誰かが見つけてくれたようで「親父!ここに!」という声と共に革靴が走る音が聞こえ、目元と口を塞いでいたものを普段の振る舞いからは想像もつかないくらいそっと外された。
「悪いな、ネェちゃん、巻き込んでしもうたわ」
たまたま一緒にいたところを目撃されていて、真島の女だとなったらしいわと続いた言葉に上手く返事が出来ないでいた。
「怖かったやろ」
「、……っ大丈夫、です」
「普段はへらず口叩いとるクセして、それも言えんほどホンマはビビっとるくせに。ほーんまに肝心なところで頼らへん意地っ張りな女や」
「…………面倒くさいでしょ」
「手がかかる子ぉほどナントカや」
「そこははっきり言ってくれないんですね」
返事の代わりとばかりに頭をわしゃわしゃと掻き回された。
「ランチを数回した取引先の人間が疑われるくらい女っ気ないんですか、真島社長って」
「うっさいわ。余計なお世話じゃ」
言葉は乱暴なのに、言い返せるほど元気になったなという思いが込められている気がして、笑った。
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そのつもりで選べや【1】
1.みんな怖がるけど意外とそうでもない人
「外線1番です」
名前を呼ばれ、事務の女の子の縋るような視線を受けながら特に返事をすることなくデスクにある電話機にあるそのボタンを押し、お決まりの挨拶を告げると、電話口の相手は返事をそこそこに要件を話し始めた。
「真島社長の仰ることは理解はできました、しかし些か現実的ではないかと」
ここで言う些かは本来の意味ではなく、言うなれば京言葉みたいなもので、本音を言うのであれば『天地がひっくり返っても出来ないことを言うんじゃねえ』である。
だいたい無理難題ひっかけすぎである。建設に必要な資格持ちの人材がいないでこの工期なんてありえない。相手の真島社長は気合で何とかなるやろ、などと言っているがなるはずないし、そもそも法律が許さない。
『そない言うならいっぺん現場来てくれや』
なんで私が建設の視察に…。過去に前例がないし、聞いたことも無い。と、心の中で毒を吐きつつも平静な声色で電話相手に返す。
「生憎、当社ではそのようなサービスは行っておりませんので」
『良かったのぅ。時代の先駆者やでぇ?』
どうやら引き下がるつもりは無いらしい。こちらとしてもヒルズ建設は逃したくない大きな案件である。無暗やたらにNOとは言えない。
「……取り急ぎ、上の承認と手続きが必要ですので準備してまた」
「それなんやがのぅ、必要なモンは全部済ましとる」
「は?」
あまりにも突拍子もない返しに不適切な返しが思わず反射で口から出てしまい、しまったと思うも電話口の相手は爆笑していた。
「お、ええやんええやん。鉄壁の仮面が崩れたっちゅー感じや」
「、…………失礼ですが、どういうことでしょうか」
「言葉のまんまの意味や。そっちの社長はんに話は通してるで」
日程だけは仮で出しとるが、ネエちゃんの都合に合わせると告げて電話は切れた。
聞いてない。聞いていないぞ。
電話を切った後に上長を通して社長に確認をすると真島社長の言う通り承認済みで、なんなら『先方の要望は全て飲むよう』とのお達しである。いくら大型案件とは言え、異例中の異例過ぎる。
「はー、怖かった……。丁度外勤から帰ってきてくたところでほんとーに良かったです!」
真島社長の会社である真島建設は端的に言うとヤクザのフロント企業であるため、須らく皆対応を避けようとする。特に担当が決まっていた訳でも無かったが、誰も対応したく無いのである。「他に誰も対応できるのがいませーん」と泣きつかれてしまい。決して得意ではないけれど、率直に物申せると言えばそうなのだろうとは思う。
「それにしても自由過ぎるでしょ……」
社長というのは勝手なものである。
2.ファーストインプレッション
真島社長が指定してきた日時で調整が可能だったのでそのままで受けることにしたのはそれから数日後だった。
「おう、ネエちゃん。待っとったで」
現れた真島社長を見た私のファーストインプレッションはヤクザってこんなに奇抜なの。である。
フィクションの世界のイメージでは上の人ほどかっちりスーツを着込んでいるものだけど、まぁ色んな人がいるのはどの世界でも一緒であると多少無理矢理に結論付けた。でないとやってられない。
「念のため確認しますが、真島社長は現場には参加されないということですよね」
「あぁん? そんなんこのヘルメット見れば分かるやろが」
うちのモンは全員こうやでと付け加えられた言葉に更に肩を落とす。
プレハブ小屋に掲げられた文字に視線を向けながら言う。
「安全第一と掲げているのであれば作業着、安全靴も必須です」
「喧嘩やらドンパチやらで危険とはダチみたいなモンや。無くても変わらへんやろ」
なら何故ヘルメットは被るのかと聞けばノリと勢いだというのだから呆れる。
「予測不能な事態に備えて存在するものですので」
「せやから予測不能な事態は慣れっこじゃ言うとんねん」
「喧嘩等での対人でのことに関しては何とかなってきたのでしょうが、建設に関しては素人、下手をすれば命を落としかねない重機も扱うのでこれは絶対です。防げる事故や怪我は防ぐべきです」
そもそも法律的にも定められているところである。何事にも基準というものがあるのだ。
そのことを付け加えると「そういうことなら早ぅ言えや」と言われた。いや、大事なことを先に伝えたまでなのだけれども。
「なんやら色々まどろっこしいのぅ」
「それだけ危険が伴うということです。従業員の安全に配慮するのも雇用者の務めです」
げんなりといった形相である。真島社長の側にいた社員さんは安堵の表情だったのでやはり気になるところではあったのだろう。
それから現場と施設を実際に見せてもらい、専門外のことは承知していたいた上で常識的なことから少し専門的なことまで様々な指摘をしていった。
「やーっぱりプロに来てもらうと違うのぉ」
「午前中に改善点は多く挙げられましたので、午後は効率化できるところを見て行く予定です」
真島社長は設置されている時計を見やる。
「おお。もうそんな時間やったか。昼飯一緒にどや?」
「いえ、私は……」
クライアントと言えどヤクザはヤクザ。あまり積極的に行動を共にしようとは思わないので、断ろうとしたところで続いた真島社長の言葉に続きが止まる。
「ミレニアムタワーの限定ランチやで?」
「ミレニアムタワーの限定ランチ……? でも予約出来ないはず、ですよね」
ミレニアムタワーの限定ランチと言えば平日限定で枠が少なく、予約も受け付けていないので幻と言われているものだ。
「基本はな。ただしあっこに入ってるテナントは別枠で予約出来るんやで」
そういえば真島建設はたしかあそこに事務所を構えていた。はっきり断るには魅力的過ぎるお誘いである。
にんまりのドヤ顔でこちらを見つめる真島さん。抗えない限定ランチの欲。思案する私を見て真島さんは更に口角を上げた。
「ヒヒッ、ええやんええやん。行きたいんやろ?行こうやないか」
な?と首を傾げる姿を見て少し、ほんの少しだけ可愛らしいと感じてしまったのはきっと勘違いだ。
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ほんですぐ迎えに行くわ【後編】
4.別の顔
「おい」
「へえ」
「次の角で曲がれぇや」
「……へぇ」
運転手の舎弟は不思議そうにしながら、後部座席に深く腰掛ける男の指示に従った。変に聞き返すなどとしても理由をわざわざ教えることは無いし、なんなら鉄拳制裁の躾が待っていることが十分に分かっている。元より、彼らの世界はそういう世界だ。親がクロと言ったらクロ。従うほかにない。
直前の左折にも拘わらず、後ろの車は真島の読み通り曲がってきた。間違いない。尾【つ】けられている。真島は確信した。
彼女とのあのバーで会うようになってからは一度も無かったことであるが、
大方、定期的に調べている真島の行動との違いを見て探りを入れたのだろう。
確かに彼女に出会うまであのバーに行くことはほとんどなかったので、行動範囲が変わったところで東城会幹部の首を狙うモノとしては当【あたり】をつけたいといったところだろうか。
敢えて神室町近辺で会っていなかったというのに、真島の想定より幾分か早くその時が来たことに溜息を吐いた。
「人気者っちゅうんはつらいのぅ」
ここらで停めと続け、5分で戻ると伝え車を降り、人気のない通りに誘導する。尾行相手は警戒し距離を取りながらも、一瞬真島を見失って焦ったように走り出した途端のところを捕らえて路地裏に引き込む。
「代紋ぶら下げてワシの後ぉ尾けるなんぞ舐めた真似しとるのぉ?」
廃墟ビルの壁にダン!とすらりと長い足を思い切り蹴り上げるながら見開いた隻眼を見せつけるように顔を近づけ、嗤った。
「西田にこの組ン事全部調べるよぉ伝えとけ。今夜中にカタつけるで」
迎えに来た車に乗り込みながら彼女と接しているときと全く違ったトーンの低い声で舎弟へ言いつけた。
* * * * * *
今日の真島さんはいつもより少し遅くにバーに現れた。
いつも飄々としているけど、今日はほんの少しだけ殺気立っているような気がしてどんな仕事をしていたのかを想像すると少し怖かった。私と接するときは優しいけれどその姿が全てではなくて、勿論それを知る機会も必要もない。けれど、知りたいと思う自分が間違いなく居て、戸惑う。最初は関わりたくないと思っていたのに。
「あ、それ」
今日もいつもと変わらずウイスキーのロックを傍らに置いて指遊びしている真島さんの手元を見ると、私が制作に携わった商品を持っていた。
「よぉ気付いたのぅ」
「そりゃあ自分の商品ですし」
「よぉ手ェに馴染むし、なかなかエエもんやな」
「分かりますか!」
「どんなモンでも拘って一生懸命にやった仕事っちゅーのは、見ればわかるモンや」
それなりに苦労して改良を重ねているので、それを褒められると素直に嬉しくなる。嬉々として真島さんを見つめていると、ニヤリと意地悪く笑った。
「どや、ちょっとは惚れたかのぉ?」
「今のその一言で台無しになりました」
ヒヒッ、とまた笑いながら真島さんは携帯の画面をちらりと一瞥した。
「振られてしもたし、そろそろ帰るとするかのぅ」
様子を見る限り、お仕事なのだろう。時間関係なくあるのだろう大変なお仕事だ。そういえば以前に肩書きがあって情報を狙われると言っていたし、同僚もテレビで見たことがあるらしいので私が思っているよりかなり偉い立場の人なのかもしれない。そう考えながら見送った。
惚れただの俺の女になるかだのは、ついこの間までは冗談半分での会話だった。ついぞそれでは済まなくなってきていることは真島も自覚していた。
最初は関わりたくないというのを隠さずびくびくとしながら自分に接していたのに、いつの間にか絆されて自分に臆することなく話すようになったところも、仕事熱心なところも好ましく思っている。そもそも声をかけたのは好みだったこともあるのだ。そうでなければ相手の出方を伺うのでも良かったのだから。そういう意味では最初から惹かれていたとも言える。
「今更、手放すこともできんしのぉ……」
ミレニアムタワーの屋上で西田の調査を待ちながら紫煙を薄く吐き出し、一人小さくごちた。考え事をひとりここでするのはよくあることであるが。
「覚悟、決めな」
革靴を地面に擦って火を消す。その瞳は腹を決めた強い意志を存分に含んでいた。
「誰ぇのことを尾け回っとったんか、分かりませんてこたぁないよな?」
よほどの覚悟でやったんやろなぁ?と続け、容赦ない蹴りが椅子を吹き飛ばし、舞う。
「容赦せえへんでぇ?」
男の野太い悲鳴が組事務所にこだましていた。
真島を狙ったその組は一夜のうちに壊滅し、その筋の界隈で瞬く間に広まった。彼の力を知っている者は、よりもよって真島吾朗に手を出すかという呆れる声をあげて、知らないものにはやはり間違いなかったとその力を云わしめる結果となった。
5.モヤモヤと逃走劇、そして確保
「珍しいのう」
「え?」
「カクテル飲んでることが多いやろ?」
彼が視線を向けた先、私の手元にあるのはロックグラスだ。いつもこれを手にして度の強いウィスキーやらなんやらを飲んでいる真島さんに憧れて、飲みやすいものをバーテンのお兄さんにこっそり教えてもらったのは内緒にしたいところではある。
「真島さんはいつもロックで飲んでますよね」
「まぁ、中身はちゃうこともあるけどな」
例に漏れることなく真島さんの前に置かれたのはロックグラスである。大きな手で覆われ、琥珀色が傾くのを見ていると、テーブルの上に何気なく置かれていた携帯が着信を知らせた。それを手に取って視線で私に断りを入れ、席を立っていった真島さんを見送った私は上手く笑えていただろうか。
光るディスプレイを反射で見てしまった。そこには、女の子の名前が表示されていた。
真島さんが何かをはっきりと言ったわけじゃない。彼女なのか仕事関係なのか。その筋の人の仕事関係の女性ってなんだろう。夜のお仕事の方とかかな。
誰であろうと私には関係ないことで、真島さんの自由で。私が何か思う関係性でもないのに、こんなに気になってる。こんな気持ちになることが何故かと考えるまでも無く嫌になるほど自覚した。
あの大きな掌で私の知らない誰かに触れるのか。そう考えたら叫びだしたくなるくらい嫌で。
「なんや景気の悪そな顔して。わしが居らんくて寂しかったんか?」
思ったより戻ってくるのが早かったことに安堵しつつ、意地悪く笑っている彼に返した。
「思ったよりこのウィスキーが苦くて。私には早かったみたいです」
そう言うと、少し間をあけたのち、真島さんは私の手元にあったグラスを掴んで中身を一気に煽った。私にとっては苦さもそうだけどなかなかアルコールがきつかった。けれど、彼は何ともないようだ。
「無理せんでいつもの頼んだらどや? 俺が奢ったるでぇ」
「……、ふふ。ありがとうございます。じゃあ遠慮なく」
大丈夫。まだ育つ前だから間に合う。
間に合わなくなる前に、断ち切らなければいけない。
* * * * *
数か月前のあの夜を最後に例のバーには行っていない。元々頻度も多くは無かったし、自分が行くことも一度も連絡をしたことは無かったから真島さんはまだ気づいていないかもしれないけど。というよりも、もともとが今までだって彼の気まぐれである。私が来た時に店員さんに連絡させていただけで、連絡が来ないからって何も気にしていない可能性だってある。
やり場のない思いを鎮火させるように、クッションを思い切り抱きしめながら自室のベッドの上で左右にゴロゴロと身を振っていると着信音が鳴った。
こんな時に誰からだとサブディスプレイを確認すれば、今の今まで考えていた彼からだった。
少し前に連絡先は交換したけれど今まで互いにそれを使うことは無かったのに。
何を思って電話をしてくれているのか、少しは私のことを気にしてくれているのかな。
暫く鳴り続けたのちに、着信中の表示は不在着信1件の表示へ変わっていた。
反射で出なくって良かったと思うのはこれが初めてかもしれないと安堵していたところに今度はメールの受信音が鳴る。差出人は電話と同じ、彼だ。中身を見たい気持ちもあるけれど、見てしまったら何かが変わってしまう気がして開けなかった。
その翌日。
「よお」
「まっ…………、じまさん」
仕事を終え、会社のエントランスを出たところで聞き覚えのある声が聞こえ、振り返った先のその表情はにこやかではあるけれど、隠し切れない怒りを感じてとてつもなく怖い。
「き、奇遇ですね。私の会社にお知り合いが……?」
「んな訳あるかい。何をすっとぼけた事抜かしとんねん。お前を待っとったに決まっとるやろが」
「わたし、ですか」
自分の会社を教えた覚えはないけど自社製品の話をしているので知っていること自体は不思議ではないが、まさか突撃してくるとは夢にも思っていなかった。
「そや」
「私これから用事が……」
「ほう、どこへや?送ってったるで?」
「い、いや、真島さんのお手を煩わせるまでもないっていうか」
「遠慮すなや。ほんで終わるまで待っとるから終わったら声かけえ。連絡しろ言うてもせんし、電話もメールも繋がらへんもんなぁ?」
思い当たることがありすぎて怖い。直接的には何も言われてないけど皮肉交じりに糾弾されている。そしてヤクザの圧、すさまじい。おそるべしである。
「黙っとらんでなんか言うたらどうや。言い訳の一つや二つないんかい」
「……言い訳したら、許してくれるんですか」
「さあな。試してみたらええんちゃうんか」
「……ちょっと、ここのところ忙しくて」
「へったくそな理由やなぁ。組のモンが言っとったらぶっ叩いとるとこやで」
すっごい理不尽。
「逃げよう思っとったかもしれへんけど、生憎やが俺は離さへんと決めた後や。悪いのう」
「へ…………?」
「へもクソもあらへん。色々整理やら準備やらしとったところで勝手に逃げおって」
「じゅんび……」
「あんなぁ、何とも思っとらんカタギの女にわざわざ構ったりせんわ」
困惑する中で、一つ一つの情報を整理していって彼の気持ちに思い当たる。その眼差しがとてもやさしくて少し拗ねて照れたように見えたから。
「とにかく今後は無視は一切なしや。牽制はようさんしとるが考えなしのアホに攫われるちゅうことも十分あるからのう」
「そんなアホが現れたときは?」
「自分から死にに行くなんざアホやのぉ!って笑って待っとれ。ほんですぐに迎えに行くわ」
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ほんですぐ迎えに行くわ【前編】
1.飲み友達
「あちゃ~、ホント治安悪いですよね神室町って」
取引先の訪問を終え帰社の途中、隣に並んでいた同僚の視線の先は新宿の雑踏の中の繫華街で、そこに目を向けると絡まれている若い女性とチンピラの姿が見えた。ああいうのって本当に存在するんだ。
なんにせよ関わらない方が身のためだとすぐさま視線を前に戻す。
「げ」
今度は何だと視線をまた向けると上裸で蛇皮のジャケットを羽織った長身の男が現れていた。タイトなエナメルのボトムスで足元はいかにもって感じの革靴が遠めに光って見えた。遠巻きで見てもオーラのようなものが感じられる。
「あれって東城会の幹部の人だよ」
「東城会?」
「知らないんですか?関東最大勢力の極道組織」
「あー、名前はなんとなく聞いたことあるかも」
詳しくは知らないけどたまにニュースになっていたりするなぁ程度の知識。
「それにしても派手な格好ですね」
「眼帯でパイソンのジャケットって都市伝説みたいなもんって思ってたけどまさかホントとはなぁ」
その言葉通り、そもそも独特過ぎるファッションを着こなしているだけで相当なものだし
ましてやヤクザのお偉いさんがあんな派手な身なりでこんな風に街をうろついていることもあるんだななんてぼんやりと思った。ヤクザの偉い人ってスーツをびっしり着込んでるイメージだったから、かなり意外だった。あくまでリアルの世界でお目にかかることはないのでテレビドラマでたまに出てくるもののあくまでイメージでしかないけど。
絡んでいたチンピラは隻眼の男に何度も頭を下げて一目散に去っていき、助けられた女性も同様だった。意味合いは違うものだろうけれど。
「でもあの人、助けたように見えるけど」
「下っ端に絡ませて、自分が助けたように恩を売ってさらにふっかけたり、いいようにしてるんじゃないですか」
「え、そんな意地汚いことするの」
「ヤクザなんてそんなもんじゃないですか」
なるほど。確かにそういう世界かもしれない。
「まぁ何はともあれ関わらない方が身のためですよね。ささっと帰りましょう」
はてさてなぜ私がそんな出来事を回顧したかというと、六本木のバーでその派手で特徴的なジャケットをまた目撃したからである。
こういうバーでも同じ格好するんだと驚愕しつつあまり視線を向けないように注意して、ひとりカクテルを楽しむことにした。
ここに来るようになってからお酒の種類は覚えていて、気分や飲みたい味で選べるようになっていた。
今日はフレッシュな柑橘と、苦味も欲しいと思い、ソルクバーノを頼んだ。グレープフルーツの爽やかな香りを楽しみながら、やっぱり何となく気になってしまって視線を戻してしまった。
彼はどうやら一人のようで、同じくカウンター席ではあるが私の席から少し離れたところでロックグラスを煽っていた。ジャケットから覗く腹の腹筋はすさまじく、胸筋も然りで鍛えられているということが分かるのに、大柄とは違っており、すらっとしていて、腰も細い。今のアンニュイな表情も相まってなんだか婀娜っぽい。
あまりにも目を引くところが多く見過ぎでしまっていたのを自覚し、視線を外そうと思ったその瞬間、目が合ってしまった。
「なんや、姉ちゃんえらいぺっぴんさんやのぅ。俺の女にならんか?」
脳内処理を行う。まず初対面だし普通に考えればナンパなのだろうけど相手はどう見てもそのスジの人で、そんな人の意向を汲まないとなるとどうなるものか分かったものじゃない。だけど、ヤクザの女になるのも無論愛人もごめんだし、でも断る勇気もないしどうしたら。
「どやねん?えぇ?」
「……の、」
「あぁん?」
「……飲み友達からでよければ」
「ヒヒッ、姉ちゃんなかなかおもろいやないかい。よっしゃ、それでええで」
早速飲もか、と続けた男にどうしてこんなことを言ってしまったのだろうと後悔しても時すでに遅しだった。
どうしてこんなことに。
いや、はっきりと断れなかった自分のせいなのだけれども。
「なるほどなぁ、地元から一念発起して上京してきたっちゅーことか」
何故私は明らかにその筋であろうこの男の人と身の上話をしているのだろうか。答えは簡単。自分で飲み友達になると言ったからである。嗚呼。
職業のイメージ的に天上天下唯我独尊、俺を楽しませろというようなスタンスだと想像していた。しかし実際は聞き上手な真島さんは時折質問を交えてあれこれと話を広げていく。
「立派なモンや。そんでやりたい仕事は出来てるんか?」
「最初から希望の部署に配属されることの方が稀なので」
「下積みっちゅーヤツやな」
「ですです。研修という形でいろんな部署に回されてたんですけど、念願の部署に本配属になって今慣れてきたところで、製品制作にメインで携われてるって感じです」
昼間のことや真島さん自身のことはなんとなく聞けずにいた。ヤクザのお仕事なんて興味本位で首を突っ込むものでもないし知る必要のないことだと感じたから。
「よお来るんか?」
「……偶に自分へのご褒美で。月に二回か三回くらいですかね」
「ほぉ。ほんなら次に来る時連絡してくれや」
「へ?」
「『へ?』ってなんやねん。俺と"飲みトモダチ"になってくれんねやろ?」
連絡先を(強制的に)交換すると姉ちゃんの話、楽しかったでぇ、また聞かせてぇなと笑いながら去っていった。
……ヤクザってあんまり感じなかったな。上の方の人は一般人に礼儀正しく横柄な態度をとるようなことは無いと聞いたことがある。
だからと言って醸し出す雰囲気は只者では無い感じだったし、関わらない方が身のため、なのに。
2.意外と聞き上手
新宿の取引先で一悶着終えた帰り道、通りすがりに神室町の通りを覗いたらまた真島さんを見つけた。
どうやら先日目撃した時の女性だったようで、菓子折りを渡しており、「もう下手に絡まれるんやないで〜」とひらひら手を振って断っている様子だ。
同僚が言っていた更に吹っかけるということで無かったと分かってバーで話した真島さんのイメージと繋がった。
大前提として反社会的な存在であることは間違い無いのだけれども、その中でも人非道的外道も居れば信念を持っている人もいるんだろうと何となく思った。美化していない、とも言い切れないけれど。
* * *
「なんや、今日は元気無いのぅ」
真島さんに遭遇するのはもう何度目になるか。2回目のタイミングでもとより連絡するつもりは無かったけれど、「連絡せぇ言うたのにどういうこっちゃ?えぇ?」と言いながら現れ、なんでというのが顔に出ていたのか「バーテンの兄ちゃんにお前が来たら連絡するよう言うとったんや」とのこと。抜かりない。振る舞いは奔放なのにそれに相反して頭のいい人なのかもしれないと思った。
「ま、ええわ」
また連絡せんでとぼやきながら断りもなくあたかも当然に私の真隣にどかっと腰掛けた。これも恒例のこととなっている。雰囲気あるこの店で空気を読まない振る舞いが出来る真島さんに感心するしかない。
ずっとここへは一人で来ていたし、今日は殊更誰かと話す気分じゃ無かった。1人で考えたかったから。
何でも顔に出やすいという自覚はあって、『何かありました』って顔をしながら何も話さないのはあまりにも構ってちゃんになる気がして。
「仕事でちょっとありまして」
「ほおん。なんや姉ちゃん、イキイキ仕事の話しとったやないか」
「まー、当たり前ですけど楽しいことばっかりじゃないですよね」
「そらそうやな」
煙草をくわえながら伏目がちに相槌を打つ真島さんをぼんやりと見つめる。私が話し出すのを待っているのが分かる。具体的な事は話すことができないのでかい摘みながらぽつりぽつりと話した。
「つまり、上のモンのミスを自分のせいにされたっちゅー話か。シバいたれそんなん」
「真島さんならやりそうですね……それ」
「当たり前やろが!上だろうと下だろうと気に入らんモンは気に入らん」
「そんな風に生きられたらカッコいいですけどね。生憎私は普通にしか生きられません」
「当たり前のことを当たり前に出来る奴っちゅーは意外と少ないで。その上、相手のことや色んな要素を考えた上での最適解を出そうとするってこともなかなか出来るもんでもない」
人間、自分のことしか考えてない奴ばーっかりやけんのぅ。と続けた真島さんはいつになく真面目だった。
「で、どないするんや。シバいたるんか?」
「どうもしませんよ。私がやりたいことはいい製品を作ってお客様に届ける。それだけなので、誰に何をされようとめげません」
状況を分かってくれている人や味方もいますし。と続けてピースサインを向ける。
「世の中筋の通らんことばーっかりや。そないに我慢しとったら身が持たんで」
「それでも私はいつまでも嘆いて、うじうじしてるような生き方はしたくないです」
「頑張るのぉ」
呆れたように呟いて真島さんは手元のロックグラスを煽る。
「ま、あんま無理せんときぃや」
頭ぽんで煙草と香水が薫った。
誰かに吐き出すってのも悪いものじゃなかったな。
3.勘違い
「なぁ」
私が店を訪れた数十分後には真島さんが来るという異常事態にも慣れてしまった今日この頃、いつもはテンション高く話しかけてくる彼のトーンは不機嫌を隠すことなくいつになく低かった。
「はい?」
正直めちゃくちゃにおっかないけれど、こちらに危害を加えてくるようなことは無いという信頼はあったので何食わぬ顔で返した。
「お前、男おんのか」
「ぶっ……!お、おとこ?彼氏ってことですか」
「せや。ええから早く答えろや。おんのか、おらんのかどっちなんや」
「居ませんけど。なんですか、いきなり」
「ならあれは誰や」
畳み掛けるように質問ばかりしてきてこちらの疑問に答えるつもりはないらしい。しかも全く身に覚えのないことばかりなので少し困惑する。
「あれ……って、何の話ですか」
「昨日男と居たやろ」
「昨日……?あぁー、あれは」
真島さんの言葉で昨日のことを思い返す。そんなに前のことでは無いのですぐに記憶が蘇り、思い出したところで苦笑する。
「えらい楽しそうに盛り上がってたやんか」
「それはそうですよ。だってあれ、兄ですもん。私の。数日前にこっち来て一緒に夕飯たべようかーってなって。それで」
「……兄ちゃんやと?」
「そうですよ」
バツが悪くなったように黙りこんで、ロックグラスをカラカラと回して遊んだり酒を飲んだりしている。忙しい人だ。
「最近『俺の女になるかぁ?』ってめっきり言わなくなったんでそういうのもういいんだと思ってました」
「アホか。ありゃあ、本気やない」
「本気だとは最初から思ってないですよ!あいさつ代わりの冗談みたいなものですよね」
「それもちゃう」
「え、そうなんですか」
「おう。肩書見て近寄って来る輩やら女使うて情報盗ろうとする奴やらおるからのぉ」
「そういう人が居るからっていうのは分かりますけど、どうしてわざわざあんなこと言ったんですか?」
「そりゃ決まっとるやろ。俺とお近づきになりたいような奴からすりゃ餌ぶら下げられとるようなもんや。それに食いつかんかったらシロの可能性が出てくるっちゅーとこや」
確かに真島さんに目的があって近付いたのなら、そのチャンスはみすみす逃さないであろう。逆に言えば普通の人であればいかにもヤのつく自由業な身なりの真島さんを見て近付こうとしないだろう。
「なるほど。でもまだ警戒してたり、そのことに気付いて食いついてこない可能性もあると」
「せや。やのにお前ときたら連絡せえ言うたのにして来ぉへんし、顔見せる度に嫌な顔しとったろ。おかげで俺は未だにお前の連絡先も知らんのや。スパイやったら失格やろ」
真島は併せて身辺調査も済ませていることは敢えて言わなかった。
「でも、なんだかんだで真島さんと仲良くなっちゃいましたよ?」
「せやなぁ、どうしてくれようかのぅ」
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